「御す」という事との線引き

2016年1月15日大井競馬第10レース、結果、1着6番的場文男、2着5番本村直樹の人気決着となった。

1番人気だった的場騎手の馬は、普通にスタートを切ったものの道中馬群の中でレースを進める格好になってしまい直線に入るまでに後手を踏む形だった。

一方の本村騎手の馬は、スタートで頭を上げて2完歩出遅れて最後方になったものの向こう正面から大外をマクって追い始めると4コーナーで先頭に立つという凄い馬の能力を見せる競馬をした。

だが、結果は上記のとおりで、直線で本村騎手の外に追いついた的場騎手がそのまま並ぶ間もなく追い抜いて人気に応えてしまった。

このレースを見て、私は「御す」という事の本質を見た気がした。

それは、どんなに能力のある馬でも気性から生じる不利な脚質を克服するにはどこから動き出すかという鞍上の判断が正しくなければ勝てないという事であり、本村騎手が2走前のように3コーナーに入る所から動き出していれば間違いなく完勝していただろうと思ったからだ。

これまで私は、名手と呼ばれる騎手たちは馬の気性まで把握しているものと考えていたが、今回の的場騎手は別に馬の気性など把握してなかった事は馬の位置取りで一目で分かったし、逆に本村騎手の方が馬の事をよく把握していた事が動き出しの位置からもよく分かった。それでも結果は本村騎手の早仕掛けになってしまった。

ただし、これは何も本村騎手が下手であるという意味ではない。おそらく本村騎手自身が一番悔しくて堪らないはずで、彼の悔しさには私も共感する思いが多々ある。私が言いたいのは、「御す」という事に線引きがあるという事である。

つまり、レースの結果と馬の能力・鞍上の技量は別物であるという事。ひいては、「御す」とは馬の能力を引き出す事ではなく、馬の気性をキチンと把握している事でもなく、如何に動き出しの地点を勝てる所におけるかという事。

類推すると、勝ち負けするためには馬の能力はもちろん最重要事項だが、仕掛ける地点を間違えれば勝てるレースも取りこぼすのが競馬の必然であり、名手とは、この仕掛ける地点を極力間違えない騎手の事と考えれば良いだろう。

こう考えれば、未熟な騎手が「逃げるか、追い込むか」の両極端な位置取りになるのもよく分かる。馬群を捌いて仕掛ける地点を見出す事が上手く出来ないのだから。しかも、仮にそれが上手く出来ても、いざ接戦になった時に「より馬の脚を伸ばす追いだしのリズム (ハミの噛ませ方・体の使い方)」が出来なければ競り負けてしまうのである。

これからは、鞍上の実績ではなく、この線引きを指針に予想を立てていこうと思った次第!...高い授業料も払ってしまった事だし!(笑)